第七十二話 ラストでないけれど、ラストシーン

 ちょうど6年前の同時期、突然兄から「チョロ松物語を書いてみないか?」と話を持ちかけられた。勉強はからっきし駄目だったが親父譲りの記憶力を生かし、2010年6月1日より連載スタート、その時点では「たぶん七十話近くなるんじゃないかな」と話していた。予想通りの七十一話まできたが、七十二話でペンが止まった。当然チョロ松物語には続きがあり、本編においても書き忘れ、書き損じ多々あり、書き足りてないのも事実だ。敢えてここで一度ペンを置くのは、書こうとしていることが現実に近かく、かなりリアルで生々しくなったから。一旦中断させていただき、またその時期が来た時に再開という結論に到った。

 私こと村崎五郎の人生は一言でいうと破天荒を地で生きてきたようなものであった。それを補ってくれたのがまさしくチョロ松との出会いであった。このコンビに関心をもち応援をいただくことで、色んな方に出会うことができた。

 なかでも猿まわしの調教師・芸人として私が携わった30年、様々な方が調教師を目指してきた。「こいつは何年か鍛えればモノになる。失礼だが、この調教師は良くて5年・・・10年でも頑張ってくれれば可能性が広がるかもしれない。」色んな想いを持ちながらも猿まわしという特殊な芸能に飛び込んできてくれて感謝して真摯に向き合ってきた。

 しかし、自然界で培った能力を持つ日本猿と共に歩み、芸を育てていくこと、舞台に立つことは厳しくほとんどの人間が去っていかなければいけなかった。

 意外な人間が今では河口湖猿まわし劇場の大黒柱として獅子奮迅の活躍をしてくれている。芸名は常次(じょうじ)。熊本県阿蘇の出身で、職員からの紹介で阿蘇猿まわし劇場のスタッフとして現れた。入社して一ヶ月後の夏休み、偶然チョロ松と私の舞台を見て、常次から「調教師になりたいと持ちかけられた。」
 ただあまりにも痩せすぎてとても野生のお猿さんに向かえるような迫力はなかった。胃の一部を切除したばかりと聞いた。本人のやる気を買い入門許可が出た。第一印象は「まあもって3年、5年、いや10年やってくれればみっけもんだな」程度しか期待してなかった。常次はいつも期待されない存在で評価が低いのに、会がピンチの時、必ず緊急要員の一人となって劇場の礎となった。
 そんな常次も猿まわしを去らなければいけないような事件があった。阿蘇猿まわし劇場でデビューし、持ち前の器用貧乏さと軽さでメキメキと力をつけ、河口湖猿まわし劇場がオープンして一年後、舞台真打ちとして大抜擢された。河口湖入りして間もなく、常次は職員に一目惚れし、気持ちの収拾がつかなくなった。プロポーズしたが、呆気なくふられた。その後も、はね返されても諦めきれず何度も何度もアタックしたが、その度に撃沈してしまい、最後には自暴自棄になり最悪の結論として夜逃げした。
 夜逃げして初めて事態を知った私は常次に何度も電話するが繋がらず、二、三日してようやく電話が掛かってきて「とりあえず、戻って来い!1人の女にふられたぐらいで人生を捨てるのはあまりにも勿体ない」。しばらくしてやり直したいと申し出があったので復帰、踏ん張って再出発したからこそ今の『勇次・常次コンビ』がある。常次のその後が知りたい方もいらっしゃると思いますので紹介しますが、その後何度も何度も同じ子に懲りずにプロポーズした結果、今はその職員だった女性と幸せな家庭を築いている。故郷熊本県を捨て、いや、離れ、山梨県の女性と身を固めた。
 2014年の正月に、かけがいのない二人息子の内、長男を闘病生活の末失った。小学校に通う美少年であった。それから、一週間後、相棒の勇次と常次は何もなかったかのごとく舞台に復帰した。せめてと渾身の想いをぶつけるシーンを台本にし舞台のラストシーンに敢えて演じてもらいお客様にお見せしている。涙なしに見れないのは我々身内だけでなく、事情など全く知らないお客様も涙される。
 気付いてみればあっという間の24年、今現在(2016/2/29)もしぶとく頑張ってくれている。河口湖猿まわし劇場で『勇次・常次コンビ』として根強いファンがいるが、もちろん一番のファンは天国から応援してくれている。河口湖猿まわし劇場で骨をうずめる覚悟を決める。ありがとう。

 幼少の頃から協調性のない人間だった私にも五男という特性・・・甘え上手・・・を生かし友人だけは多い。特に小学校、中学校、高校生時代の友人というのは昔と何ら変わらず友人関係を続けている。私のぱっと見た目はいかつい感じで、とっつきにくく思われがちですが、子供の頃から知る友人というのは見た目と違う人間としての弱い部分やもろい部分も本当に理解してくれていて真正面から付き合ってくれるので私も本音で付き合うことが出来、遠い山梨県に来ていても何かと気にかけてもらい猿まわし劇場ともども応援してもらっている。
 数年前に伝統芸能猿まわしがお猿さんを確保出来なくなるかもしれないという危機に直面した際には、たった一週間という期間に全国47都道府県から何千人もの方々が「周防猿まわしの会に何とかお猿さんを確保させる道を残して欲しい」というパブリックコメントを環境省宛に集めて送って下さった。その時も、縁遠くなっていた故郷山口県光市だけで、数千人の方が及びパブリックコメントを提出してくれ、猿まわしの危機を救ってくれた。

 最近、大学時代に親友とも呼べる人間だった友と何十年ぶりに再開した。自分も弱かったので、プライドの持ち方を誤り一生の友を失うところだった。

 チョロ松・五郎実話は進行中です。自分らしく生き、生かされ、チョロ松や仲間、友人から応援いただいて豊かに生きていきます。今月はそうそう、古川顧問が来られます。続編が掲載されたならまた宜しくお願いします。これまでのご愛読に感謝申し上げます。

  周防猿まわしの会 チョロ松四代目・村崎五郎

2016年申年 2月29日

提供:周防猿まわしの会